いただきますって言う意味って何?お店だとお金払ってるんだからいいじゃん?←これの意味も
今週のお題「パン派? ごはん派?」
僕はおっさんなので周りには、ご飯食べる時頂きますって言う人が普通です。
それは何でだろうなって考えてみます。
Visiting Japanese Shrine during New Year 2013 ...
僕自身あんまり意味も考えず子供の頃からのしつけの中に組み込まれてました。
日本人の多くは「いただきます」を無意識に行いますが、食堂とかで食べる場合「金を払ってるんだからいただきますとか言う理由がない」とか聞くようになりました。
そもそも「いただきます」は誰に対して言ってるのか考えてみましょう。
誰に対して?
- 料理を作ってくれた人
- 食材を作ったお百姓さん達や食料になった命
- 神様
大雑把に考えると3つになるでしょうか。
1.料理を作ってくれた人
料理を自分で作るのではなく、誰かに作ってもらって、目の前の作ってくれた人への感謝の気持ちの「いただきます」
※金を払ってるのだからいただきますを言うのはおかしいって言ってる人は、金払ってる以上対等なのに、いただきますってへりくだった言い方をしなければいけないのはおかしいと考え方でしょうか。
2.食材を作ったお百姓さん達や食料になった命
1の料理を作る人に対する認知より上を考えたら、命を食べてるんだから、その生命に対して感謝の念を添えていただきますって言う、または、食材が食卓に登るまでの過程を想定できる人は、食べれるようになるまでの苦労に対して感謝する意味での「いただきます」
3.神様
森羅万象、自分が生きている意味や食べることができた事を土地や五穀豊穣の神様のおかげだと考えて、神様に感謝する意味の「いただきます」
こんなかんじでしょうか
これら3つの理由をふまえて
長く日本に続いてきた神様の概念の大本
大昔からアジアでは新しく土地を開梱して入植した場所に、社(土地神を祭る祭壇)と稷(穀物の神を祭る祭壇)を祀りました。
これを社稷と呼び、その土地に住む民族・国家その物の象徴として扱われてきた歴史があります。
自然は不条理なので神様に預けちゃう
農耕を始めてから人類は安定した食料を得られるようになったとは言え、その収穫は自然災害や天候に左右され、不条理の中で生活をしてきました。
ぶっちゃけ、不条理と上手く付き合うには神様って概念を置くことで、神様のやることだからしょうが無いって考えるのが手っ取り早かったのでしょう。
また魚や肉を作る時、その命を奪う事の後ろめたさを。
そしてどうすることもできない自然の不条理からくる心の葛藤を、神様って概念に預ける事で無理に心を破綻させない知恵のようなものです。
現代の都会での暮らし
現代の都会では、自然と切り離され、自分の場所に食が届くまでの過程を見る事無く、現金の対価だけでご飯食べられるようになりました。
金さえ有れば、食料が手に入らない恐怖はかなり薄れたと思います。
こうなるといただきますって言う意味は、自然の不条理の中で生きる営みとは別の意味が生まれて、さきの(食堂では金を払ってるんだからいただきますとか言う理由がない)論も筋が通る話に変化してきます。
田舎のように、普段から自然と付き合う機会の多い場所では、神様はまだ生き残ってますが、都市部での生活では神様と切り離されて生活するようになりました。
それでもそれなりに都会生活便利だし、田舎のように面倒な付き合いも必要ないし便利だとは思いますが、それでも処理しきれない不条理と対面して、不条理を預ける場所のないまま生活するのは結構辛いと思います。
そんなわけで
そんなわけで弱い僕は、ご飯を食べる時、まわり回って自然と僕自身が繋がってると思うことにして「いただきます」とその色んな物に感謝して手を合わせる事にしようと思います。